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等覚寺  とうかくじ  2010/04/10 茨城県土浦市大手町4-160  真宗大谷派





銅鐘



坊守さんのはなし  75歳になった。やることが多くあり忙しい。未来のことを若い人に教えなければいけないとおもっている。芸術家やお寺などはそのような役割をはたしている。寺の役割もかわってきた。・・・  絵が好きで何年もやってきている。今創作しているものは、光を使った絵を画いている。新しい試みだ。ずっと絵をやってきてたどりついた。宇宙をテーマにしている。自分の生きてきた道は、レールに乗ったものでなくはみ出したものだった。普通の人とは、違ったことをやってきた。だから一生懸命やってきた。こころはいつも新鮮だ。最近、身体はいろいろと不都合なこともあるが、やりたいことがいっぱいあり忙しい。・・・・いろいろと立ち話で1時間くらい話をさせていただいた。・・・・その後、山岡荘八「伊達政宗」を読んでいて、気になった言葉があった。政宗の重臣、片倉景綱(小十郎)の年老いたときの正宗にいった言葉。   殿は、自分の持ち物と天からの借り物の区別をしらない。人間は、身体と、その中身の心とでできている。自分のものは心だけ、身体は借り物、こわれものだ。心は、鍛え方さえよければ、釈尊や、大神宮のように、何百年何千年と生きる。しかし、身体は使い方しだいでは、十年でもこわれる。五十年か六十年は保っても、百年千年とは絶対に保てない。小十郎の心は、殿を世に出したい一心で、戦国の頃から体を使いすぎた。使えば必ずこわれるが、この身体だ。爺は笑って、壊れた身体を大地に返す。それゆえ、殿も決して嘆かないように。身体はなくなっても、心は死なない。いつまでも殿を守り続ける。坊守さんのはなしと何か重なるものがある。いくつになっても心は新しく勉強したいとおもうこの頃であります。知らないことが多すぎます。勉強することがいっぱいあります。