願入寺  がんにゅうじ   2010/04/11他  茨城県東茨城郡大洗町磯浜町7920  岩船山大本山。原始真宗大網門跡。開基は如信。親鸞の孫。
山門



山門の扉













本堂内













如信上人御真影



水戸黄門・光圀寄進状(願入寺展示史料より) 願入寺15世、如高上人のとき、光圀48歳、久米に移った願入寺を大洗岩舟に寺領300石と七堂伽藍を建立。上人の姫養女とし、東本願寺より琢如上人の子、如晴上人を16世として迎え、水戸家より正式に入輿させた。「300石朱印状」要約 奥州白河郡大網村(現在の福島県古殿町)願入寺は、親鸞聖人の孫、如信上人が創建。1299年、如信上人は、京都にある親鸞聖人の祖廟に詣で報恩講を勤める。大網に帰る途中病気になる。しばらくの間茨城県大子町金沢で療養するが、1300年66歳の生涯を閉じた。遺骨は金沢の庵のある場所に葬られた。その嫡流は法灯を継承し、大網門徒の中心として大網に居住した。8世如慶上人のときに、戦乱を避け常陸国那珂郡大根田村に移る。10世如了上人のときに、常陸国那珂郡菅谷に移る。12世如正上人のときに、佐竹義宣の顕彰により常陸国久慈郡久米村に寺院を構える。如信上人は、親鸞聖人の正当な孫であり浄土真宗の正統を継承した人である。しかし、奥州も常州も日本の東に偏っており、大網も久米も僻地である。参詣する人も少なく、布施する人も少なかった。15世如高上人のときは、堂宇も衰微の一途をたどり、見るに偲ばなかった。私は、水戸徳川城主として、如信上人以来の嫡流がこのような状態になっていることを看過すことができず、茨城郡宮田村岩船(現在の地・大洗町祝町岩船)に新しく堂宇(17間4面・七堂伽藍)を建立。朱印地300石のうち境内地として200石(約6万坪)残りの100石を如信上人の廟所に当て謹んで寄進する。
1674年 源光圀拝      如高大上人獅子座下





光圀は、15世如高上人の一人娘を養女として水戸の城に迎え入れる。鶴子姫と呼ぶ。京都の東本願寺14世琢如上人の二男瑛兼を願入寺16世住職として、成長した鶴子姫を光圀の娘として結婚させる。光圀は瑛兼(如晴)親しく交わったという。光圀より願入寺への手紙は100数十通に及ぶ。(願入寺の資料より)





水戸光圀の植えた銀杏



住職さんとのはなし  大変に広いお寺。甘茶が置いてあり、甘く少し苦味があるお茶をごちそうになった。住職さんが、途中でてきてくれて、にこやかに話をしていただいた。ありがたかった。真宗のお寺はよい。花まつりで、白い象がおいてあった。白い象は、空からお釈迦様が生まれたとき降りてきたらしい?4/8が花まつりであることをしらないひとが多くいる。そのため、4/8だけでなく、ある期間お寺を飾っている。信じればよい。「しかし、本当?」という気持ちをもつひとはだめ。誰も地獄と天国を見た人はいない。仏さまはそれをみせてくれる。信じればよい。寺の経営も大変。2つのことをやる必要がある。お金の管理維持。説かなくてはいけない。本当は、もうひとりいてくれればよいのだが。2つのことを一人でやるのは大変。広い土地があり維持が大変。檀家のかたに支えられてきている。水戸家にはお世話になってきた。大子にあるのは如信の墓。如信は、親鸞の孫になる。花まつりは、4/8 。一日で終わるのはもったいないのである期間飾ってある。若い人へのPR。拝観料をとられないとありがたみがないという人もいる。鐘はついてもらうが、無料にすると酔っ払っている人がついたりしてしまうので有料にしている。宗派は、いろいろと異なるものがある。各人の説き方が違う。ウイスキーをストレートで飲むのが好きな人もいる。水割りで飲むのが好きな人もいる。そのようなものだ。本堂内をみてもらうか、拝観してもらいたい。ご時勢でいつも開けておくこともできない。戸を閉めている場合もある。以前はくもりガラスだった。中が見えるように透明なガラスにした。気軽に声をかけてください。水戸光圀公お手植えの銀杏が奥にある。